「私は潤滑油タイプです!」就活に関わる場面でこのような比喩表現を、ネットでもリアルでも一度は聞いた事があるのではないでしょうか? 広義にて個性とは自分らしさを指す言葉であり、個人の性格や特性を示します。ですが無難に就職する事を切に願う就活生は、誰しもが自分らしさ“個性”を誰かの借り物の言葉で、あるいは奇を衒った表現で伝えがち。そんな勘違い就活生と企業の言う個性の違いとは一体何なのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

多くの学生が戸惑う要素「そもそも個性ってなに?」

 

 

 

 

就活シーンでは頻繁に「就活生の個性を企業は見たがる」と囁かれますが、まず大前提としてこの個性というワードを理解していないとお話になりません。個性とは冒頭にもあるように性格や特性といった個人の人格を形成している根本の要素と言い換えられます。より具体性を持たせた言い方だと、優しい・頑固など内面を露わにする性格的個性。髪型や顔つきに身長など身体的個性。そして語学力やタイピングなどスキルに目を向けた能力的個性の3つが基本となります。就活では自己分析で自分の強みを考えていくものですが、大体がこれら3つの要素の中で特出していると思えるタイプを絞り、アピールポイントとして構成していく流れになります。性格面は人間関係など取り巻く環境でほぼ自然に培われていく感じになりますが、外見(髪色やメイク)や能力は個人の裁量と研鑽によって育まれるものです。選考において面接官は就活生の人柄を推し量りたいと考えており、自社でどんな仕事を任せられるか、モラルやコミュニケーションの面でも人間的に問題ないかをイメージするための判断材料として、それぞれの個性について根掘り葉掘り聞かれるのです。知り合って長い年月の経過した間柄などでは、わざわざ自分がどういう人間かを説明しなくてもやりとりの中で性格や嗜好などが掴めるもの。ただ初対面となる人事担当者もとい面接官が相手だと、最初の段階で興味付け出来ていないと不採用となってしまうので、事細かに自分自身の性格を解説していくと同時に、社会人としてのポテンシャルも付加価値としてアピールしなければならない…。今まで生きてきた中でこんな経験はまず無かったでしょうから、多くの学生が「あなたの個性ってなに?」と問われた際に戸惑ってしまいます。

 

 

就活生と企業の間で個性の捉え方に齟齬が

 

 

 

 

現在進行形で就活をし、大手企業の選考はまだ先でもベンチャー企業や外資系企業の面接は既に経験済みという人はある程度はいらっしゃるかと思います。そこで内定をいくつか獲得している人もいれば、選考通過に至らず今も説明会・合説やセミナー、春のインターンなどのイベント群で汗を流している人も…。選考では学生としてのスペックだけでなく、対話力(コミュニケーション能力)や仕事への意欲的な姿勢など社会人としての素質が求められ、自分のパーソナリティを顕在化させて面接官を“惚れさせる”事が肝心となります。ただこの最後の要素である個性または人柄と呼びますが、この表現の仕方とニュアンスそのものに学生と企業で違いがあり、面接を通過出来なかった人はこの点が準備不足だとよく言われます。

 

ざっくばらんに言ってしまうと企業が求める個性・人物像の認識不足と、訴えかけたい個性がストレートに伝えられない事が選考落ちの決定打だと考えられます。

昨今は売り手市場と言われ各業界の人材不足を解消するために、今まで選ばれる立場だった企業も学生に選ばれる側になり、就活生が事を優位に運びやすくなった環境下です。そんな現状でもやはりお目当ての企業に確実に入社出来るかどうかは“人事担当者のみぞ知る”わけで、自分をより優秀な人間に見せるために就活生は今でも、謙虚でありながら「伸びしろ抜群でやる気もあります!」と思わせるアピールを続けています。要するに優秀な学生は探せばいくらでもいるわけであって、差別化を図るためには相手が気に入る人物像を演出する必要があるのです。そこまでは良しとしても問題として浮上しがちなのが、自分を表現するための手段と相手が求める個性。多くの学生がお祈りメールを貰う羽目になるのは、この二点を誤解しているからといっても過言ではありません。

 

 

 

一昔前とは違い、グローバルな波が押し寄せ働き方にも見直しがなされてきた各企業ではダイバーシティに基づいた採用活動が活発化してきました。一見何の事かよく分からないと思いますが簡単に言うと、画一的でなく多様性に富んだ人材を獲得して、柔軟な発想力や多角的な物の見方で利益を生んでくれる人を欲しがっているという事です。「自分と違う意見は実は貴重」とよく言いますしね。ただそんな人材を欲しがる一方で、やはり会社組織という構成上、規律や風紀を重んじて集団行動を乱さない人間が重宝されています。集団の輪の中で問題を起こさず円滑にやり取りができ、個人の能力も高めであり性格も良く、広い視野でビジネスの可能性を大小問わず拾っていけるタイプ…。文字にしてみると高望み感が半端ないですね。企業によって求める人材は変わっていくものですが、盤石な基盤を持ち数多くの社員を抱える大手企業では、特に上記の要素を持つ就活生を欲しがりがちです。行き過ぎた冒険心や調和を乱すフットワークの軽さは、巨大な組織内では懸念対象に挙がりやすいのです。もちろん自由な発想で可能性を広げやすいベンチャーや、日系企業と違い海外企業ならではの特性を持つ外資系では、大手や中小といった“保守的な日本企業”よりも、癖があっても優秀な人材ならどんどん採用するというケースが顕著。

 

このようにいくら情勢が変化しても、企業独自の社風や歴史などによって求められる人材の特徴は違ってきます。ですが企業研究をとことん徹底して行えていないと、これら需要について“外野の人間”である就活生は判断がしにくいものです。もちろん自分が志望企業に適しているか不安になったらOB訪問や会社説明会などで更に情報の堀りを深め、企業への認識を改めていくのが定石。選考を通過出来ない人はそこの突き詰めが甘いのです。

 

個性を上手く引き出せないのはある意味仕方ない

 

 

 

 

最近だと大手化粧品メーカーの面接で“私服OK”など新たな試みがされてきていますが、それでも多くの企業は「服装はリクルートスーツ一択」という概念の基で採用活動を進めています。そして春には、駅や街中でも学生達が同じ髪型同じ服装など、まるでSF映画のクローンのように姿かたちを統一して就活に励んでいるのです。いや、黒づくめで話す内容や所作までも同じになっているわけですからSF映画というよりも、人の管理が徹底化された世界観でお馴染みのディストピア映画みたいですね。ただこうなってしまったのは、もはや仕方ないと言えます。なぜなら日本は集団行動を異様に気にする性格だからです。小中高でも目立つ見た目や行為は罰せられ、校則という絶対ルールで縛られてきた学生達。そんな環境下で育ったわけですから、個性の表現なんて簡単に出来るわけがありません。より安定を望み無難な生き方をするために、自由を謳い調和を乱すような輩は淘汰する…。グローバル化だ何だと言われてもこの風紀は依然として変わりません。そんな若年層が初めて個性(自分のしたい事や表現の仕方)を出せる時が大学です。学生服という決められた服装は無く、カリキュラムも自分で決めた専攻によってバラバラ。多種多様なサークル活動で人脈を形成出来るだけでなく、考え方や将来の可能性を伸ばせるなどと、まさに個性が活きる・活かせる最高の環境だと言えます。ただ、そんな生活を3~4年送っても就活がスタートしたらまた、縛りルールの逆行が始まります。社会常識・マナー講座に服装と頭髪のチェック…まるで義務教育時代にタイムスリップしたような感覚になりますね。せっかく大学生活で自分のパーソナリティを確立出来たのに、いざ就活でアピールすると敬遠される始末。

 

また、日本は海外の就活事情とは一線を画しており、新卒一括採用に未だに拘って通年採用が広く浸透していないのも特徴的。各人の能力を企業一丸で高めて人材の市場価値について深く考えるべきなのに、過度な残業やハラスメントといったもはや“お約束な問題”を根本から解決しようとしなかったり、日本の将来性を笠に着てブラックを正当化しようとしたりとするので、あくまで保守的なスタンスを崩さず革新的なやり方を受け入れる事に憶病なところも、就活生はもちろん社員の個性の育成を阻害していると考えられています。

まとめ

 

 

髪色や服のチョイスといった外見はもちろん、性格や物事の捉え方も個性の一部とされますが、就活シーンでは個人の能力は置いておいて、毒にも薬にもならぬ“無難な人間”を評価の対象に挙げやすい点が個性の出し方や重要性を損なわせているといっても過言ではありません。集団行動を非常に気にして、既存の概念とは違う新たな考え方も受け入れづらい現代社会。その結果、就活生も自ずと奇を衒ったような真似はせず周囲に溶け込むように皆が同じタイミングで同じような就活手段を取る。過去にはそんな光景を目の当たりにした某脳科学者が「没個性、この国は終わっている。」と攻撃的な発言をしたくらいです。しかし学生としては他のライバルに埋もれないためにインパクトを残したいと躍起になるもの。ですが企業が求めるのは信頼に足る実直で“真面目な”人材です。このギャップが就活生を追い詰め、個性の追求を更に難しくさせています。

就活マナーと固定観念でがんじがらめ状態の就活ですが、令和以降は経団連が決めていた就活ルールも廃止され、今後この個性の存在感もどう変わっていくのかを見守っていきましょう。